琉球方言について

沖縄の方言―Introduction

 沖縄の方言は、より厳密には琉球方言(ウチナーグチとも)と呼ばれる(文献[4]による)。この琉球方言は、本土語と同じく日本祖語を元にしているが、例えば「ッワー」で「豚」を指したり、「ヒー ヌ メーイン」で「火が燃える」を指したりと、共通語(日本本土語)とはずいぶん異なっており、発音の仕方にも独自のものがある(文献[1]による)。これは沖縄が島国であり、本土との往来が困難であったために他の沖縄文化と同様独自の言語が発達したためである(文献[1]による)。このページでは、そんな個性豊かな沖縄の方言に焦点を当ててみる。

琉球方言と本土語の違い

 前述したように琉球方言と本土語は同系であり近い関係にある(文献[1]による)。これは語彙の面でも基礎語彙が共通していることで明らかである。しかし、両者はそれぞれ独自の発展を遂げ、似て非なるものとなった。具体的にはどこが違うのだろうか。

 

 最大の違いは、母音の違いである(文献[1]による)。 簡単に言うと、琉球方言の短母音はほとんどがa・i・uの3つで、eはiになりoはuになる。例えば雨(あめ)がアミ、心(こころ)がククル、夜(よる)がユル、といった具合である。

 

 他にも様々な違いがある。例えばアクセントである(文献[1]による)。琉球方言は共通語とは少し違ったアクセントを持っている。例えば、共通語では「イシガ(石が)」というときはシにアクセントがくるが、沖縄(那覇)方言では「イシヌ」(「ヌ」は「が」に相当する助詞)というとアクセントがない。ちなみに首里方言では「イシヌ」というとシヌにアクセントが来、後述するが同じ琉球方言の中にも多様性がある。このように沖縄の言葉には独自のアクセントがある。

 

 沖縄独特の発音もある(文献[1]による)。例えば「声門破裂音」という発音がある。声門(声帯のある部分の狭い隙間)を閉じて一気に出すというものである。沖縄の言葉は、この音の有無で意味が異なるので、重要な発音である。たとえばッワーでは豚を指し、ワーでは一人称の我をさす。ちなみにこのような発音は台湾の言語や中国語、韓国語にも見られ、興味深い。

 

 また、琉球方言にはトゥジ(刀自=妻)など、本土では聞けなくなった古い言葉も残っている。「ティダ」(太陽)など独自の語彙もある(文献[1]による)。また、長年中国や東南アジアとつながりがあったことから、料理の名前などには外国語も使われている(文献[3]による)。例えば、有名な「チャンプルー」(沖縄風炒め物)は「チャンプール」(campur:「混ぜる」という意味)というインドネシア語に由来する。文法も琉球方言独自のもの、もしくは古典文法に由来したものである(文献[4]による)。本土では室町時代ごろに失われた係り結びの法則も、沖縄では今でも盛んに用いられている。例えば、「ワンドゥ イチュル」(私ぞ行く)のように、係助詞ドゥ(ぞ)ガ(か)のある文は、文末はある特定の活用形で終わる。ドゥの場合は連体形で、ガの場合は未然形で結ぶ。

琉球方言の多様性

 琉球方言の大きな特徴のひとつに、地域や島ごとに大きく言葉が違うということが挙げられる(文献[1]による)。地域や島が違うと意思を伝えるのが困難になるほど言葉が変わるのである。これは島の中で貴重な労働力を確保するため、集落間の人の移動を厳しく制限していた歴史のためだとも思われる(文献[3]による)。特に久米島と宮古諸島の間には黒潮が流れているので、かなり異なった言葉になる(文化も大きく異なる)(文献[2]による)。沖縄では、隣の島では違う言葉が使われているのである。

方言札による琉球方言の弾圧

 かつて、太平洋戦争前後を中心に、政府が標準語を使うことを強制して、琉球方言を使った生徒を罰する「方言札」という制度を導入したことがあった(文献[1]による)。生徒が方言をしゃべると、方言札をかけさせられ、次に誰かが方言をしゃべりだすまで、ずっと首にかけていなくてはならなかったということだ。地域によっては昭和40年代まで方言札が残っていた(文献[3]による)。戦前の国の教育政策から生まれた方言札は、「方言というものは悪いものだ」という劣等感を方言の話者に知らぬ間に植え付けていった。

琉球方言の現状

 現在ではマスメディアの発達もあり、琉球方言は若者には使われなくなってきており、他の沖縄文化と同様に衰退しつつある(文献[1]による)。沖縄の時代劇や島唄等で使われることはあるものの、通常の生活の場での純粋な琉球方言の話者は主に高齢者とその家族・周辺に限られている(文献[4]による)。島の人たちにも、将来島外へ就職する際言葉の問題に突き当たるのではないかという思いから、子供たちに共通語を習得させたいという思惑があるようである(文献[3]による)。方言札によって方言を禁止されたことの影響も少なからずあった(文献[3]による)。琉球方言は失われつつあるというのが現状である。

 

 しかし、だからといって琉球方言の命運が尽きたわけではない。文献[3]によると、若い人たちにも沖縄文化を受け継いでもらおうと、沖縄のあちこちで、琉球方言を含む島の文化を残そうという運動が盛り上がっているそうだ。例えば、週一回ラジオで放送される方言講座、年に一度の方言大会、などである。このような取り組みにより、方言を日常会話で使い、方言をかっこいいと思う若者も増えているようである。言語は文化の中でも重要な要素であるだけに、琉球方言は若い人にも継承されてほしいものである。

参考文献・参考ホームページ

[1]『沖縄からアジアが見える』 比嘉政夫著 岩波書店 1999年

[2]『沖縄の方言 調べてみよう 暮らしのことば』 井上史雄・吉岡泰夫監修 ゆまに書房 2004年

[3]『方言を調べよう 郷土の研究9 沖縄地方』 佐藤亮一監修 福武書店 1990年

[4]フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』